昭和東南海地震を予測した研究者、その解析力と判断力が予知の本質
- 2019.10.14 Monday
- 04:56
JUGEMテーマ:天変地異、災害
JUGEMテーマ:地震・宏観異常・危惧・経過
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昭和東南海地震を予測した研究者、その解析力と判断力が予知の本質
〜 政治家らの地震行政丸投げ・他人任せは、後継者不足の地震研究と社会の乱れを増長させたかも
話題の東南海地震を歴史の三陸沖地震で予想すると、50年後 !!
http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=684
関東・南海トラフなどの巨大地震を、過去・周辺の地震から推測
http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=667
日本における1993年からの大地震は、どうして増えたのか
http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=610
実は昭和初期に入り、昭和東南海地震を予測していた人がいる。明治から地震が研究されていた中で、関東大震災発生も提起した地震研究家の今村明恒氏である。
ただ、関東大震災発生は歴史地震からの周期性を判断し説かれてた。その公表は、地震後の火災対策等の脆弱さが説かれたものであり、都市開発の真っ最中で防火の動きが疎かなことを指摘したものだった。明治期札幌の大通は防火林だったように、防災では災害を最小限にするスマートシティな考えもしなかったから・・
20世紀初頭の1905年(明治33年)、今村明恒氏が関東大震災発生も提起したことは、センセーショナルな社会騒動となる。そして確かに、1923年(大正12年)に関東大震災が情けも無く大都市を襲った。
当時はまだ江戸時代の小氷期を引きづったような地震期が続いており、繁栄に奢れる首都の東京を50年+α年周期で再び震災が襲う。
その後、1925年に北但馬地震、1927年に北丹後地震が発生したころ、西日本の庶民は世代代わりしてか・・東京以外に地震が起きるんだ・・と認識を改めたらしい。そう、災害は忘れた頃にやってくる。
そして、以後に今村明恒氏は数十年後の東南海地震発生を確信するのだ。
>Wiki>1925年に北但馬地震、1927年に北丹後地震が発生し、次の大地震は南海地震と考えた明恒は、これを監視するために1928年に南海地動研究所(現・東京大学地震研究所和歌山地震観測所)を私費で設立した
>Wiki>今村明恒>1944年12月7日に東南海地震が発生した際には、陸地測量部が掛川-御前崎の水準測量を行っていた。この測量は今村の強い働きかけによるものであった。この測量の時、地震前日から御前崎が隆起する動きが確認できた。これが現在の東海地震の発生直前の地震予知が可能であるという根拠とされている
現在の東南海地震予知も、その今村明恒氏が集めた「御前崎が隆起する動き」しか解らないと言うべき状況である。
しかし、「この測量は今村の強い働きかけ」というのは、昭和初期の予測を踏まえて当年の地震災害発生を「そろそろでは・・」と危惧した予知から来ていると言える。
ただ、今村明恒氏はどうして直前の東南海地震発生を悟ったのか? 今はそれが重要と、ふと思う。
ただ、当時における地震学の変移も理解しないといけない。
>Wiki>マグニチュード>1935年>日本の地震学者和達清夫の最大震度と震央までの距離を書き込んだ地図に着想を得て、アメリカの地震学者チャールズ・リヒターが考案した
(マグニチュード単位の普及は1940年代)
>日本で地震計による地震観測が始まったのは1872年(明治5年)
振り子らしい・・1875年の創設時からパルミエリ地震計による観測が始まり・・
>1884年(明治13年)、当時の内務省地理局第四部 験震課長を務めていた関谷清景が全18条からなる『地震報告心得』をまとめ・・・これが日本最初の統一様式での震度階級である。当時は「微震」・「弱震」・「強震」・「烈震」の4段階で、例えば微震なら「僅ニ地震アルヲ覚ヘシ者」というように短い解説文があった
>1898年(明治31年)に微震の前に「微震(感覚ナシ)」、微震と弱震の間に「弱震(震度弱キ方)」、弱震と強震の間に「強震(震度弱キ方)」が追加されるとともに、0から6までの数字が振られ7段階となるが、このときは解説文が省かれた。1908年(明治41年)には各階級に解説文が復活する
まだ、日本で火山学も1932年に発足した程度で、地震学も進んでたわけでもない? 当時の研究家は、新しい論文には目を通していただろう。プレート理論も普及したのは戦後なのかもしれないが・・ただ、プレートの沈み込みから発生する深発地震は、当時に知られていた。
>Wiki>和達清夫>深発地震を発見したことでも知られ、和達-ベニオフ帯に和達の名が・・
これを1927年に初めて発見された。深い震源が理解されて、気象庁のデータも、この頃から深さが具体的・・
1923年の関東大震災でも、地震計は日本領もあわせても80カ所あまりしかなかった。
かつては東南海地震を予想した今村明恒氏だが、地震計ぐらいでは予測に至る解析も無理だろう。前兆も善し悪しで、その現象も良く起きるのであれば確実さが欠けて規模は不明である。当時、冬でありながら温かいとか魚がよく取れる現象しかないのかも。しかし、和歌山で研究していた今村明恒氏には井戸と温泉の前兆は、確かに事例と集まっていたかも・・
結局は、当時としても地震学やそのデータが整備されてたとは言えず、個人として判断するしかない。まして、現在の情報量から見れば、対したものではない。要するに、地震が来るかは、個人の才覚と判断、そして多すぎるデータを系統的に整理し、修練された直観に頼るしかないわけだ。また何を基準と根拠にし、論じなければいけない。今村氏は、予知と言わず予測という行動してる。
当時の情報量でみると、今は誰でも出来るんだよとも・しかし、どういう風に、悟ったんだろう?
そこで、改めて昭和東南海地震以前の地震を気象庁の地震データから検索してみた。まあ、前兆等のデータは見識が無く、地震の解析は地震データの収集や考察から始めており、そのまま地震履歴の調査とする。それは、地層にたまった歪のエネルギー値であるからである。
< 1939/10〜1942/10 までの地震データ 気象庁ネットで震度3以上 >
瀬戸内等の西日本の地震が減って無い
フィリピンプレートに接する瀬戸内海・日向灘・近畿・伊豆に地震がやや多い
注) この前後の年は鳥取地震などもあり余震が多く、気象庁の不自由な検索が百件越え。不便・
なんと、
昭和東南海地震の前年に近畿で地震が急増
−前年の傾向−
・震度2も入れるとほぼ近畿全域が揺れてる
・現在と違い、M4・5級の地震が多い
( 西日本は特に・・ ) 下記参照
・フィリピンプレートと境目に地震が多い
・日向灘、豊後水道地震衰えず
・伊豆半島、静岡西部も地震が併発、
関東まで・
・東北太平洋沖に地震が少ない
これは、おかしすぎる・・まさに異常な切迫
( 右記画像で小さい点は「M解析不明」 )
− 地震が多い東北太平洋沖に地震が少ない、これは個人的に問題視する −
2000年からの鳥取地震ら西の日本海側の地震は・・・
http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=705
〜 東北太平洋沖に地震が無い、それは不安定な状態で異常な内陸地震へ・・
− 上記画像の近畿圏らの地震データ −
1944/09/15 07:17 M4.7 震度2 63km 奈良県 34°04.6′N,135°36.1′E
1944/08/27 15:34 M4.6 震度2 63km 奈良県 34°03.3′N,135°40.1′E
1944/07/29 16:13 M5.0 震度4 10km 兵庫県南東部 34°38.7′N,135°06.3′E
1944/07/02 16:29 M5.3 震度3 70km 和歌山県北部 34°11.9′N,135°34.0′E
1944/02/03 01:14 M4.7 震度3 23km 福井県嶺南 35°24.1′N,135°53.9′E
1944/02/01 07:20 M4.6 震度3 26km 紀伊水道 33°56.7′N,135°04.7′E
1943/12/29 16:46 M4.7 震度4 14km 京都府南部 35°03.8′N,135°33.9′E
1943/11/26 18:36 M3.9 震度2 36km 伊勢湾 34°45.8′N,136°45.3′E
1943/09/10 13:08 M4.5 震度3 12km 三重県中部 34°34.8′N,136°35.0′E
1943/04/23 23:34 M4.8 震度3 12km 紀伊水道 33°52.9′N,135°03.2′E
1943/04/22 02:39 M4.6 震度3 4km 滋賀県北部 35°27.3′N,136°04.0′E
1943/04/12 17:15 M5.0 震度3 49km 紀伊水道 33°41.2′N,135°07.8′E
参考で、昭和東南海地震以前に三重県で感じた地震
黄土色の震央は、
殆どフィリピンプレートと思う。
紀伊半島下フィリピンプレートに一様に変化
既に地表もフィリピンプレートの影響下か?
右記画像で小さい点は「M解析不明」
− 上記画像等で、顕著な日本の大きい地震データ −
1944/02/01 14:16 M6.8 0km 浦河沖 41°58.6′N,142°27.1′E
1943/06/13 14:11 M7.1 24km 青森県東方沖 40°59.6′N,142°49.5′E
1943/04/11 23:46 M6.7 9km 茨城県沖 36°14.6′N,141°25.7′E
1940/08/02 00:08 M7.5 0km 北海道西方沖 44°21.5′N,139°49.0′E
1938/11/05 17:43 M7.5 43km 福島県沖 36°55.5′N,141°55.1′E
1939/05/01 14:58 M6.8 0km 秋田県沿岸北部 39°56.7′N,139°47.1′E
− 昭和東南海地震以前で近畿圏の大き目な地震データ −
M7級前後の地震が近畿圏で多すぎる( M7級は、日本では年一件が現実 )
1944/06/07 19:15 M6.0 65km 伊予灘 33°15.8′N,131°50.3′E
1943/09/10 17:36 M7.2 0km 鳥取県東部 35°28.3′N,134°11.0′E
1942/08/22 18:00 M6.2 7km 日向灘 32°07.9′N,132°20.9′E
1942/03/22 08:20 M6.5 44km トカラ列島近海 29°18.3′N,129°22.9′E
1941/11/19 01:46 M7.2 33km 日向灘 32°07.1′N,132°08.0′E 前後で多し
1941/04/06 01:49 M6.2 2km 山口県北部 34°31.6′N,131°38.0′E
1940/11/18 21:47 M6.3 50km 和歌山県北部 33°53.0′N,135°24.6′E
1940/08/14 00:36 M6.6 20km 隠岐島近海 36°17.9′N,132°17.8′E
1940/05/28 23:23 M5.7 39km 徳島県南部 33°54.5′N,134°29.3′E
1939/03/20 12:22 M6.5 57km 日向灘 32°05.0′N,131°44.8′E
1938/06/16 11:15 M6.9 20km 奄美大島近海 27°30.7′N,129°37.3′E
1938/01/12 00:11 M6.8 47km 和歌山県南方沖 33°37.4′N,135°18.7′E 周辺の前震
周辺の前震 〜前回の安政東海・南海地震で揺れなかった、東南海地震の震央系統か?
まさに、震災前から近畿・日向灘・瀬戸内海のフィリピンプレート境界や地表らで小地震も連鎖していた。地震を研究する当事者として、最後まで予測に力をいれて発震を危惧した今村明恒先生であろうか。そこに、逐次の判断力と大局な視点が功を奏した。
直前の予測には地震現象の統計や地域のM−T図等、そして年ごとの地域発生表も作成すれば解りやすい数字化で確かな現象として解析できる。また判断力を活かすには、志と研究する姿勢が有る当事者しか出来ない。まして、一般の方であれば同じ地区にいても伝わる地震の体感も弱く統制のなかで情報を取らなければ災害地震が近づいてるかも解らない。
俗には、地震前後用にデータを集めるために測量したというが、その人脈が活かせた。
結局、長期的地震予想と、短期的な地震を想定した研究者今村明恒先生の取組である。当時の地震期も、特徴的な火山の噴火と自然災害も多く確信をもったかもしれない。
ただ、個人的には「1925年に北但馬地震、1927年に北丹後地震から、次の大地震は南海地震」という長期的地震予想には疑問である。実際には、
1899年03月07日 紀伊大和地震 - M7.0またはM6.9、近畿地方南部で被害 真面目に本来の前前震
深さ40 - 50 kmのフィリピン海プレート内の地震
1899年11月25日 日向灘で地震 - M7.1 〜日向灘の地震は以外と継続
1905年06月02日 芸予地震 - M7.2 等の地震
が起きてたから、次の大地震は東南海地震と推測したんだろうと思う。まさに紀伊大和地震は、安政東海・南海地震で割れなかった東南海地震の震源断層系統と思うからである。実際、
>Wiki>安政地震については「宝永地震の後始末地震」だった可能性も考えられ、
安政地震で揺れたのは、静岡西部の東海と紀伊水道の南海である。その安政地震は東南海地震の震源に歪を蓄えたと言え、安政地震の後始末地震が昭和東南海地震だったと思う。
1707年10月28日 宝永地震 - M8.4 - 8.6 (200年周期だった可能性)
1854年12月23日〜 安政地震 - M8.4 広義な宝永地震の後始末地震
(150年周期に縮まる)
1899年03月07日 紀伊大和地震 - M7.0 真面目に昭和東南海の前前震
1938年01月12日 和歌山県南方沖 - M6.8 深さ47kmと昭和東南海の前震
1944年12月07日 昭和東南海地震 - Mj7.9 個人的見解は安政地震の後始末地震?
( 90年周期に縮まる?)
なにか、決定的な事象を期待された方もおられよう。しかし、研究者は耳をひそめてデータと格闘する。今回は、研究対象の前提が仮定と前震らで裏打ちされたものである。地震とは、経緯と紀伊をじっくり観察して確信された。気象庁のように一か月程度で地震報告・一か月で予測が出来たら、苦労はしない・・
先の気象庁の毎月の地震防災対策強化地域判定会では、
>平常時と比べて相対的に高まったと考えられる特段の変化は観測されていません
>(注)南海トラフ沿いの大規模地震(M8〜M9クラス)は、「平常時」においても今後30年以内に発生する確率が70〜80%であり、昭和東南海地震・昭和南海地震の発生から既に70年以上が経過していることから切迫性の高い状態です
と、他人事のようで殆ど信用がおけない。でも、なんで予測も10年程度に出来ないのか。被害が起きる少ない頻度もあるのか、地震研究もする大学の火山学者のような危機感の無さであり、予測の意気込みも地震研究の姿勢も感じない。観測の職員に、予知は範囲外の業務といえる。
が気象庁は、予測もせず切迫と煽り、こんな事を今後100年以上もやり続けるのか?・・笑笑・・
ま、業界に流され過ぎと・・ 実際、今村明恒先生が予測した後、現実は20年以内に発震してるが
ここに、1955年以降における近畿周辺の大きな地震 は、
1995年01月17日 阪神大震災 - Mj7.3(Mw6.9)
2000年10月06日 鳥取県西部地震 - Mj7.3 (Mw6.8)
2001年03月24日 芸予地震 - Mj6.7(Mw6.8)
2004年09月05日 紀伊半島南東沖地震 - Mj7.4 (Mw7.5) 沖合過ぎて対象外・・
2016年10月21日 鳥取県中部で地震 - Mj6.6 (Mw6.2)
2018年06月18日 大阪府北部で地震 - Mj6.1 (Mw5.6) 日本規格Mjと世界規格Mw違いすぎ・・
−実質、Mwで判断するとM7級無しと思う。まして、紀伊半島とその東の海で大きな地震が無い
俗な南海トラフなどと語られてるが、南海地震の特徴はフィリピンプレートを切り裂く紀伊半島がネックである。同時に日本列島を切り裂く伊豆半島を支点にした関東地震発生が課題。南海トラフとは視点がずれ過ぎて、事前に発生する地震の本質を見間違う。地震周期からも論点がずれる・
思うのだが、実際に学者とやらが地震で意見を語るなら、地震期も語らないといけない。大地震が頻発する環太平洋に右往左往させられることも本質を見逃すかもしれない。世界では、ギリシャやシナで大地震が起きた災害期の経緯もある。
地層でひび割れが多い日本は、被害地震に見舞われる。そこに自称専門家とやらは、日本の地震期、シナの地震期にも語れないと、論点がおかしなことになる。現在、後世の恥が露骨に進められ、今村先生が構築した地震研究の遺産( 失礼だが、研究所を引き継いだ部署には個人的に解釈してもノーベル賞も無いくらいに価値を見いだせない )を無駄にする茶飲み会に・
気象庁の地震検索も、県庁の公務員職サービス向け程度しか感じない。上記の文読んでても、公務員の偽善と責任逃れという感じさえする。消費税も上がり税金さえ納めるのも日本の無駄と考えさせられる。最近は、自分は大きい地震により半径300kないし500kmに地震の連鎖があると考えており地震の検索・解析には苦労させられる。
実際、気象庁では地震を大地域別、大きさ・深さ別等の地震統計や地区別傾向も出せてない。期待するまでも無く公務員や政治の仕事とはこんなもん・・今では社会に真面目に向かい合うのや北の都における仕事事情は苦渋が多い。現在は社会と向き合うのさえ人生の無駄とさえ感じる時代だ。
この昭和東南海地震以前の整備された地震データは1922年頃から、未整備なデータは1885年からある。昭和初期前後はM不明な事例も多いが、2年ごと(余震込み)でデータを解析してみることも出来る。当時は大地震も多く、一般の人にも興味深い解析も出来る。
7年前から311地震などから調べ出し、東南海地震らの危惧と信憑性が疑われるフェイクな地震情報に地震の解析をはじめて無駄な第二の人生に・・笑笑・ 協賛は無いが自分として役目をおえるような考察に到達した気がする。多めの出資でも有れば、継続も考えるが一区切りでちょうどいい。皆さんも、消えゆく時や資金のなか、自分の時間や歴史の与太話などに投資してみては?
北からぴーまんなつぶやき、気まぐれに考察−地震・災害編−目次
http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=688
〜政治家らの学者へ地震行政丸投げ・他人任せ・批評の口だけ・(政権のよう)・は禁物・
コロンブスの卵という安易な解釈より、地震履歴を整理し思考を重ねる地震予測はお薦め
実際、周辺の地震状況・空白地帯から、熊本・胆振東部・山形地震を予想?出来ている
地震理論の追求より、地震履歴の長期・中期的な考察で大発見があるかも・・
地震編も 完