明治も民間に頼った鉄道建設、狭軌の鉄道が地方で活躍

  • 2019.06.09 Sunday
  • 19:42

JUGEMテーマ:経済全般  #明治150年,#渋沢栄一,#軽便鉄道,#日高本線,#ナローゲージ,#ナロ−ゲ−ジ,

 

 

  明治も民間に頼った鉄道建設、狭軌の鉄道が地方で活躍

  〜着実な殖産興業と多くの実業家が活躍した明治、世界の鉄道建設時代に日本にも狭軌鉄道

 

 

 

明治維新前後には、日本の社会層には多くの知識層や学問所があり、産業化する以前に豪商や豪農が、経済をけん引していた。


渋沢栄一氏も、商家に近い豪農であった。算術や帳簿で資金の管理も出来て養蚕業などの技術も習得していた。江戸時代中期以降にはシナ依存の絹製品から自国産に転換した頃でもあり、東北も含めて上杉鷹山公らも養蚕に取り組んだ時代。


  シナで多かった養蚕・絹製品は、西暦に入りペルシャで生産されたが、東ローマ帝国での生産も始まる。  その後、元の時代世祖クビライの勅命により編纂された中国最初の官撰農書「農桑輯要」では、河北地域などに向けた養蚕法・耕法が編纂されてもいる。後、1639年明代徐光啓の農政全書が日本にも入り、西欧の農法なども紹介されて、大きな影響を与え日本農業も文献化や研究がされるようになる。
  ( 日本の仏教寺院は嘗ては高等学問であったが、寺社領もあり宗門化してしまったか )


Wiki>渋沢栄一
>パリ万博を視察したほか、ヨーロッパ各国を訪問する昭武に随行する。各地で先進的な産業・軍備を実見すると共に、社会を見て感銘を受ける。


そう、江戸末期の実業者と言える渋沢栄一氏は、欧州を歴訪して欧州の近代化を判断出来る知識人であった。日本の産業レベルを判断し財政の積算をして、社会を産業化・企業化に転換できる才能が有った。さらに、教育を高等化して人材の育成に務めて資本・資金の確立と欧州式の会社化を勧められた実業者と言える。地方の豪商と共に、地方の殖産・企業化の指導もしたようだ。


実際   1872年(明治 5年) 日本初の営業用鉄道が品川駅 - 横浜駅で開業
       1880年(明治13年) 東北初の鉄道として工部省釜石鉄道が開業
                          北海道初の鉄道として、官営幌内鉄道開業

                           広井勇氏も参加、後に「港湾工学の父」、米国で好評の橋梁設計書を作成した時代
       1882年(明治15年)  幌内(三笠)駅から手宮(小樽)駅へ運炭が開始

       1887年(明治20年)   釜石鉱山田中製鉄所 操業(1883年官営で挫折、金物商が再立上げ)
       1889年(明治22年) 東海道線全通

       1901年(明治34年)   官営製鐵所(八幡) 操業  (国内需要の大半を賄うのは30年後)
         ・・・・・・・・・・
       1913年(大正 2年) フォードは、世界初のベルトコンベア式組み立てラインを導入した
       1918年(大正 7年) IHIが自動車分野に投資、
                          1933年、日産の歴史の第一歩となる「自動車製造株式会社」
       1937年(昭和12年) トヨタ自動車設立  前後から各社でトラックの生産の始まる・


すこし前の江戸時代は北前船に代表される海運が流通の手段であった。戦国時代に進化した土木・建築も、陸路や港湾レベルは近代化には程遠く遅れてた。まあ、陸路は馬車の時代で資金対効果も低く、明治期は道路建設より蒸気機関車と言う鉄道が望まれた時期である。当時の港も、海岸の入江や運河を利用した小規模さで、近代は港湾の開発も進む。

 

 


現在の鉄道には、線路の幅(軌間)で2種類の規格がある。


    1435mm (4フィート8.5インチ)の標準軌、新幹線で採用
    1067mm  1872年に開業した日本の鉄道が採用、植民地用とも言われる


1067mm軌間は、明治期欧州でコストと能力のバランスのとれた軌間とも言われた。でもそこには、762mm軌間(通称「ナローゲージ」)の軽便鉄道のアイデアが提唱されたともある。ただ、植民地時代もあって、世界はバラバラな軌間の規格で建設された鉄道も多い。敷設の多大な費用も有って、今でも後進国では統一も難しい。


日本は東海道線を先行し建設したが、国家予算が乏しいなか民間が主導した鉄道も多い。


    1892年(明治25年) 鉄道敷設法
    1896年(明治29年)   北海道鉄道敷設法が施行
    1900年(明治33年) 民間鉄道を監督する私設鉄道法が施行された
    1906年(明治39年) 鉄道国有法公布
    1910年(明治43年)   軽便鉄道法を施行、1919年に民営鉄道関連法の整理のために廃止、
    1919年(大正 8年) 地方鉄道法


1906年に一度は地方も含めて国有化すると宣言したが、鉄道を敷設するだけの余力はなく既に企業も鉄道に取り組んだ中で混迷した鉄道政策の時代であった。地方鉄道の建設を推進するためにはと、もっと条件を緩めて762mm軌間と安価に出来る法律「軽便鉄道法」を1910年に制定すると言う事態になる。


  1910年といえば、盗る物が無いと言われた大韓帝国を併合した時代でもある。

  なんと日本より、朝鮮半島を国土開発した時代なのである。

  今で言う反日朝鮮という地に無駄な国費が流れたのである・・感謝もされず・・
  今でも、国力が有りながらマスゴミが富裕層批判した明治期にも、

    周辺国に活路を求めた気風は地方の人材と不甲斐無さも有るのかもしれない。

 

軽便鉄道は762mm軌間の鉄道で、明治期に多くの支線や鉱山開発で企業らの民間資金で敷設されたものもある。ただ、Wikiによると、現在、
>軽便鉄道の規格のままの営業鉄道は、四日市あすなろう鉄道内部・八王子線、三岐鉄道北勢線、黒部峡谷鉄道が残るのみである

 ( 四日市あすなろう鉄道、三岐鉄道北勢線、と古き軽便鉄道が残るは共に三重県 )

 

道徳と離れた欺瞞、不道徳、権謀術数的な商才は、真の商才ではないと言った渋沢栄一。江戸時代から、数々の豪商が地域で現れては消えていった。その中から、実業と商業に信念を持ち地元に根差す名家や地主が、江戸中期から体力を持ち温存されてた。

 

それが幸いしてか、江戸末期の混乱した時勢も多様な名家が明治期に殖産で活躍した訳でもある。対し、無用なマスゴミや役人と一時的な金持ちの家系が増えて、哲学の無さが実業と地方・家の衰退を招いたかと思う最近の時代である。明治期は一声かければ、専門でなくとも時勢に精力と人脈を使って、人々と使用人を活かし一筋に御用したように感じる。

 

 

 

そこに北海道でも、長らく貢献した軽便線がある。製紙業王子製紙が起した王子軽便鉄道である。

 

>千歳川上流に設けられた自社工場向け水力発電所や支笏湖畔とを結び、発電所の建設資材や支笏湖周辺の森林資源を運搬する目的で敷設された軽便規格の専用鉄道である


そもそも、王子製紙は官僚から実業家に転身した渋沢栄一氏が中心となって1873年設立の「抄紙会社」に始まる。当時、紙は和紙から洋紙の時代に移り、紙を木材から作るパルプが考案されて大量生産されてきたのである。

 

>ドイツ人のフリードリッヒ・ゴットロープ・ケラーがパルプを人工的に製造する方法を発見し、1854年に彼が砕木機を開発したことから紙を大量に製造できるようになった
>森林地帯の静岡県西部に1889年(明治22年)気田工場を新設する。日本で最初の本格的SP製造工場であった


そして、需要の増加に伴い国土開発も進み、開拓地北海道で製紙産業が普及する。
    1908年  王子軽便鉄道、苫小牧-千歳烏柵舞 専用鉄道敷設許可
    1910年  苫小牧工場操業開始。


軽便鉄道は、国有化路線の規格と比較しても建設費が企業程度で出資できるトロッコ程度の線路規格である。国有化企業の路線より、安価な線路で線路幅が狭いので土木工事も安く、規格を下げた簡易路線と言うことだろう。実際、数十kmの速度であり、保線が整備されたれば、50kmの最高速度が出せるらしい。ただ、当時としては馬車以上の速度かも・・

 

大都市圏とは違い、企業の鉄道は物資輸送を目的とするが客車の陳情も多かったに違いない。当時は、鉄道網を支えた現存するような汽車製造や整備・保線の会社らが地方にも相当数出来ている。


現在、都会の路面電車もこの程度の速度であり、線路も安い昔の軽便線程度の鉄道は都会の住宅地や高齢者時代に普及されてもいいのじゃないか。実際、インドネシアの都会らでも保線が行き届かず速度が出せない高価な旧日本型鉄道もある。


最近は、蓄電池も開発が進み架線も不要なハイブリッドが作り出せる。そうすれば、762mm軌間で土木工事も少なく、安価な建設費で工事期間短縮も早く鉄道が出来る。更に、南海トラフ地震の津波被害と騒がれるなか、沿岸の漁港村から避難し易い軽便線路でトロッコも使用可能な災害の用途も出来る。人口増加の途上国に輸出して支援もしやすい。

 

貨物も船舶に載せるようなコンテナの時代が続いてる。しかし、今や軽な航空コンテナの規格も存在し労働者不足の運送業界で小型貨物も利用できる軽便鉄道で補うことも可能だろう。今や列車も軽量化され、小型化で燃料・運用費も軽減できる。−追記 6/15

 

 

 

< 余談 >
地方路線の廃止問題で揺れるJR北海道。
その日高線は、木材の輸送で王子製紙の資金援助もあり建設された762mm軌間の軽便路線だった。


  1913年(大正 2年)  苫小牧駅 - 佐瑠太駅間(富川駅)開通  ○苫小牧軽便鉄道
    1922年(大正11年)  佐瑠太駅(富川駅)−平取駅         ○沙流鉄道
  1926年(昭和元年)  佐瑠太駅(富川駅)−静内駅延伸       ○日高拓殖鉄道
  1927年(昭和 2年)  国有化日高線となる
                        その後に軌間1,067 mmに改軌
    ・・・・・
  2015年(平成27年)  鵡川駅 - 様似駅間が災害で不通


高度成長期は、夏休みに自転車やカニ族らが優雅な牧場を旅する時期も有ったが今は廃線の流れだ。道路とバスも規格が良くなり、輸送もトラックの時代で、鉄道は速度も勝てず。

 

 

国有化された時代は、冷害・寒冷地にあう米が作られて開拓されつつあった北海道に明るい話題の時期だったが。戦後も国有林事業の営林署が最盛期も、現在は産業の衰退で廃線の方向に・・ 


もともと、日高拓殖鉄道の建設当時は、日高山脈から注ぐ河川が多く架橋は10箇所にのぼり、建設費が高騰したという。北海道は開拓で国費が投入されたが、相当な予算難で仮に設置されたと言うべきものが実情だったか。北海道も、湿地や沼地も多く道路の建設も鉄道は一時的な軽便鉄道が多かったかも。


そして今、橋も
  関東大震災から被害が無いように橋梁設計して、
  神戸の震災で橋脚が破壊されず橋の落下が無く、
  2001年水害で倒木で架橋がダムにならないよう、地上高を高めにと建設費はうなぎ登り。


コンテナと陸路の変遷は、昔も今も労働者不足でありながら地方の輸送物次第のようだ。

実業家の誕生を待つ時代とも・・

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