江戸時代の大水害では、平成30年7月豪雨地域の支援と犠牲

  • 2018.07.12 Thursday
  • 20:57

JUGEMテーマ:天変地異、災害

 

 

  大江戸の大水害では、平成30年7月西国豪雨地域の支援と犠牲
   〜信長時代から、頻繁に河川の改修が進んでいたから、今の経済と安全の礎があった

     筑後川でも想像を超えた洪水の歴史、近代の316年の間に183回の洪水記録


                        日本の伝統技術「土のう」が、途上国に労働力と道路で生活向上
                          http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=639

                        難治熊本に残した加藤清正公の土木と治水遺産
                          http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=417
                        小作人も恩恵。地主も社会と共に成長した豪商庄内本間家
                          http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=263

 

                        100年に一回の水害も、繰り返される気候の大変動
                          http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=638

                        古代文明を崩壊させた気候変動は、未だ何処の噴火か不明

                          http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=631

 

 

今年2018年に、世界的異常気象からの大水害「平成30年7月豪雨」が発生した。ただ、ここ数年大きな水害が発生してるが、大都会では、多少避けられているようだ。


これは、現代の河川土木事業が功を奏してるといえば、それまでだが、これは歴史でもわかるように先人・異人の取組と努力して来た多くの河川改修の結果でもある。
実に、この近代の夜明けが、織田信長公と秀吉公の経済振興と共に河川土木が全国に広まったと見てもいい。そこには、詳細に記録した武田の「甲陽軍鑑」も時代の始まりとも言える。


当時、経済は京都や関西地区の大名や商人に寡占状態となっていたが、織田信長公らの自由経済への下剋上で、日本列島も大きな国土開発が始まったのである。そして、水上交通網の確立も進み。商人や後の藩、そして都市の物流に恩恵まで与えたのである。

 

( 水上交通網では、最上川・利根川・関西もあり、大都市化で木材の輸送の天竜川など・・ 今は、鉄道等で代用されるが、当時の水上交通は都市の賑わいも見せ、子供も興味深々で人材もよく育った。北海道なども、そんな北前船で栄えた地域の人材が開拓地に多く入り活躍してきた )

 

 


徳川家康公も、大名として力を付ける為に農業と土地改良・河川改修に着目してたのである。経済の基礎「農業」に力を入れ出した戦国時代ともいえる。その結果、鎖国においても経済が発達した幕開けだったのだ。


  天竜川  −wiki
>元亀・天正年間の1573年、当時浜松城主であった徳川家康が遠江を領有していたが、天竜川流域を境にして激しく争っていた武田信玄・武田勝頼から本拠地である浜松城や三河を防衛するため、また新田開発を実施して収穫高を増やして国力を高める目的で天竜川の整備を始めた。


      天竜川の激流との死闘   水土の礎>静岡県 天竜川下流農業水利事業
        http://suido-ishizue.jp/kokuei/kanto/shizuoka/tenryugawa/0102.html

 

近代まで続く、変動する水流の流れと河川改修の戦いである。天竜川の様に、ひとたび災害に見舞われると数年は苦労する。そういえば、小田原では二宮尊徳公の土地改良で農民の組織化と救済制度が農業の発展にも寄与していく。そういや、二宮尊徳公の晩年は、家も藩も再興した大商人の素養も、農民のかしらとして日光・栃木当たりの河川で改修にも取り組んでいる。


  利根川東遷事業  −wiki
  >徳川家康江戸入府後、利根川主要分流の河道を付け替える工事が始まった

  >浅間山大噴火の影響が利根川全域から取り除かれたのは、戦後も高度成長期以降のこと

 

      利根川の概要と歴史   国土交通省 関東地方整備局>利根川下流河川事務所
        http://www.ktr.mlit.go.jp/tonege/tonege_index016.html

 

 


もともとは秀吉公の戦国時代から城郭の天下普請が始まり、江戸時代には手伝普請で数々の河川水害にも対応するようになる。
    「 天下普請 」−wiki
    「 手伝普請 」−wiki

戦国時代は、近畿で暴力団化・傭兵化した財閥坊主が、信長公や秀吉公に討伐された。その後、寺の造成に明け暮れてた普請衆穴太衆の失業対策が、城郭の天下普請といえる。そして、江戸時代に入り武士の失業対策と大名の蓄財(財閥軍)を防ぐため、手伝普請が常習化したんだろう。

 

ただ、自由経済化された江戸時代には、豪商も干渉されず許されてた訳で大名より市民の方が豊かとも言える。まして、投資先は国内だけで、文化・美術産業と出版事業も大流行に成る。


 「 本間四郎三郎 」−wiki    庄内の豪商・日本一の大地主ー本間家
>天明8年(1788年)藩士が富士川、大井川、安倍川の修治を命じられると、藩命によって大阪の巨商から資金を借り入れ、事を弁じた。


地元に根付いた豪商は、諸藩の財政顧問もし、庄内藩や上杉鷹山公の米沢藩を救ったのである。まあ、家を復活させた二宮尊徳公も、小田原藩の再興させたような状況だ。いろいろ、河川改修や土地改良を見ると、豪商や大地主の功績も、いろいろあると言える。

 

     日本の豪商列伝/2018年3月更新   ―こういうのも有りました・・
       http://bonvoyagejapan.com/gousyou-retuden/

 

しかし、当時の豪商を代表する本間家が、資金を借りる規模とは相当な金額だったんだろう。


  日本にしかない「商いの心」の謎を解く: 日本人はなぜ「世のため」に商売をするのか
    著者: 呉善花 −PHP新書

 

 

 

そこから、ひも解いてみていくと、江戸時代に東京(大江戸)の悲惨な大洪水災害に行きつく。

 

  「 寛保二年江戸洪水 」−wiki
>西国大名の手伝い普請
>  肥後・熊本藩 藩主 細川宗孝 普請場所 江戸川 庄内古川 古利根川 中川 横川 綾瀬川
>  長門・萩藩 藩主 毛利宗広 普請場所 上利根川右岸
>  伊勢・津藩 藩主 藤堂高豊 普請場所 権現堂川 思川 赤堀川 鬼怒川 栗橋関所前
>  備前・岡山藩 藩主 池田継政 普請場所 上利根川左岸 烏川 神流川 渡良瀬川
>  備後・福山藩 藩主 阿部正福 普請場所 下利根川
>  但馬・出石藩 藩主 仙石政辰 普請場所 小貝川
>  越前・鯖江藩 藩主 間部詮方 普請場所 新利根川
>  讃岐・丸亀藩 藩主 京極高矩 普請場所 荒川 芝川 星川 元荒川
>  日向・飫肥藩 藩主 伊東祐之 普請場所 荒川
>  豊後・臼杵藩 藩主 稲葉泰通 普請場所 荒川


なんと、今回の「平成30年7月豪雨」とは、まるで反対の公共事業支援が行われてた。驚いていると、手伝普請でも悲惨な事件が中部地域で、発生してたらしい。


 「 宝暦治水事件(中部)」 −wiki
>幕命によって施工された木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の治水事業(宝暦治水)の過程で、工事中に薩摩藩士51名自害、33名が病死し、工事完了後に薩摩藩総指揮の家老・平田靱負も自害した。

 

        木曽三川の洪水と治水の歴史  水資源機構>長良川河口堰管理所
          https://www.water.go.jp/chubu/nagara/21_yakuwari/rekishi.html

          >宝暦治水の工事個所と当時の略図

          >明治20年〜45年(1887〜1912年)にかけて、木曽三川の完全分流を目指して、

            明治政府は当時の国家予算の約12%という巨額な予算を投じた河川改修工事を行う


   岐阜県と鹿児島県の姉妹県盟約締結   −岐阜県
     http://www.pref.gifu.lg.jp/kensei/ken-gaiyo/gifu-gaiyo/11103/meiyaku.html

 

薩摩藩によって安倍川左岸に築かれた堤防は薩摩土手とよばれるとあるから、駿府藩(静岡)や徳川藩領では、多大な地方からの支援と犠牲で現在が有るんですね・・・

 

 

 

  筑後川における水害の歴史  国土交通省>筑後川河川事務所
    http://www.a-com.co.jp/chikugo/manabu_siraberu/03-suigai/index.html
    >一番古い洪水は、大同元年(806年)
    >天正元年(1573年)から明治22年(1889年)至る316年の間に183回の洪水記録

      〜 大宰府あたりだと、古い記録も沢山。水害も相当な頻度だったんだね。

 

そうしてみると、江戸時代には、いろいろあったんだね。
上記でも庄内藩(山形)が、駿府藩(静岡)河川の手伝普請といい、秀吉公の大阪も手伝普請が行われ、経済都市のインフラ構築と災害対応が、江戸時代から絶え間なく続いてきたのである。


まして、「寛保二年江戸洪水」で、西日本からの手伝普請の功績を考えれば、 今回の西日本大水害に、大都市と元徳川藩は、先人と地方に感謝と恩返しの意識が必要だろう。

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