明治維新も、政治判断や行動できる能力に幕臣と品のある武家が活躍

  • 2018.07.29 Sunday
  • 10:19

JUGEMテーマ:伝統文化  #明治150年,

 


 明治維新も、政治判断や行動できる能力に幕臣と品のある武家が活躍
 〜精神性が確立した武家や名家が生んだ秀才の行動で歴史の偉業、江戸時代から開花も

  「 為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」知性も行動で価値

 

                             明治に開花した、米の品種改良−コシヒカリと西日本編
                                http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=271

                             小作人も恩恵。地主も社会と共に成長した豪商庄内本間家
                                http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=263

                             無血革命「明治維新」と渋沢栄一

                                http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=83

                             海外で増加する港湾工事受注、日本の技術と人を活かす
                                http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=306

 


もう、江戸時代になり先代の土木普請した大名も隠居する時代には、藩の人財登用には、硬直化する藩士体制の中で、いろいろな人脈で探し出されたことだろう。


最近、水害でも話題の出たため池も、学もいそしんだ武家から指導者が生まれていた。昔、空海が土木事業を行った学問所の寺院は、この頃には完全宗教化したんだろう。


  西嶋八兵衛    香川県農政水産部>ため池について>改修と築造
    http://www.pref.kagawa.jp/tochikai/tameike/repair/nishijima.html

 

>旧領主藤堂高虎が江戸へ下るために浜松に宿泊した際に八兵衛を同道して挨拶に行ったところ、八兵衛の利発さが高虎の目にとまり近習役(秘書)として採用された。その後、高虎の指導のもと才能を伸ばし、土木技術などの専門的な技術も身に付け、他藩にも知られるようになっていった。


まあ、秀才は注目されるもので、登用後才能を伸ばしたところを見ると、それなりの素養・従順さと品行がある武家の出身者に、教育の原点を見る様だ。

 

 

 

今まで、注目した代表的な偉人は、治世と学が安定した江戸時代から


  ・戦国時代  尾張  −織田信長公  疲弊しても傲慢な特権寺社・大名体制を殖産に転換

  ・江戸時代  庄内  −本間家      豪商で有りながら利益全てを土地と小作に投入
              米沢  −上杉鷹山公  養蚕などの殖産で、地域と藩を再生
              小田原−二宮尊徳公  富士山噴火で疲弊した藩等を再生、近代農業・土木に貢献
  ・明治時代  埼玉  −渋沢栄一公  養蚕業豪農の経理を活かし、近代企業・明治殖産を普及
              滋賀  −伊庭貞剛公  国学を活かし住友銅山経営、企業の社会的責任の先駆者
              高知  −広井勇公    港湾工学の父、土木遺産を残した技術者を多く育成


など、江戸時代から、金に溺れることなく教養と財政能力から、後世に財産を残した。


明治に入り、絹輸出で養蚕農家の仕入れや農民の情報収集・交換もあり、稲品種が爆発的に進化。
庄内藩士の子息で農学者の加藤茂苞氏が、1903年畿内で国内最初に稲の人工交配する前に、先鋭的な農民・地主農民らの名家が稲を改良。


・酒米 伊勢錦−三重 1860年多気町の農家岡山友清氏が在来品種「大和」 から改良・発見
・酒米 雄町  −岡山 1866年高島村雄町の農家岸本甚造氏が、参拝時優れた穂を見つけ改良

・酒米 亀治  −島根 1875年荒島村の広田亀治次氏が、研究を始め「縮張」から選抜した
・神力       −兵庫 1877年御津町の農民の農家丸尾重次郎氏は、研究の末「程良」から創選
・大野早生   −庄内 1872年阿部治郎兵衛氏「甚兵衛早稲」から創選。庄内の育種家で先駆者
・亀ノ尾     −庄内 1897年農家阿部亀治氏、冷風冷害に強い、稔った稲穂を育成

 ( 水害に有った岡山県、ネットに雄町も篤農家も無い。ため池も忘れる西日本の痴呆体質か。

 上記酒米は全国に広がり、雄町系は昭和初期に吟醸酒で脚光。共に後の酒米山田錦系の親種。

   神力・亀ノ尾なども、多くの地域で席巻。これらは、続々と派生の稲へ展開された

   神力・亀治は、台湾で 蓬莱米(台中65号)を生み、経済の自立・日本の食料事情にも貢献 )


これらの先駆者は、明治に篤農家と言われ、「世の為、農民の為」に英知を注ぐことになる。

 

 

 

 

明治時代から、実業で成果を上げる人々が多かったといえる。幕臣だった渋沢栄一公も、実は豪農でも農家の頭領でもあり、その経験と社会的センスが、時代の寵児として活かされた。


意外と、明治維新も後も考えず、青年が暴走する時代であり、熱すぎる為苦労した事だろう。まだ、社会主義に被れてないからいいものの、明治維新の時期が遅かったら悲惨な状況だったかもしれない。


官軍側でも、暴走気味の武士も多いなか、何かしらの実務を持った者が成果を残している。その中、武家の幕臣も活かされてるようだ。なにせ、実務と怒涛の経験も活かされる訳でもある。

 


幕臣 榎本武揚氏の数奇な人生と、江戸っ子の洒落た言動が実務に活かされた
  〜戊辰戦争では旧幕府軍を率い蝦夷地を占領、徳川の反乱で無く「蝦夷共和国」の総裁

 

そのなかで、稀なのが、榎本武揚氏であろう。勝海舟氏の注意も有りながら、現場の指揮者そして幕臣の精神もあり戊辰戦争に忠義する訳である。
幕府は敗軍ながら朝敵とは心外、との忠臣さは、以後も評価された精神だろうか。

 

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日印に勲章もされんかった、グリーンファーザー杉山龍丸公

  • 2017.07.23 Sunday
  • 14:30

JUGEMテーマ:国際社会

 


  日印に勲章もされんかった、グリーンファーザー杉山龍丸公
   〜戦後期からの農水・文科三流官僚に無視された「杉山龍丸公のアジア支援」

 


                            見えてきた国政の抵抗勢力、時代の陳腐化で官僚も劣化
                              http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=551

                            今や、暴走する悪意のマスゴミ、そして自爆する購読数
                              http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=301

                            評価の安倍政権、国際視野ではマスコミよりネットが主流
                              http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=446

                            獣医と知恵が必要のカンガルー王国、話題の獣医学部が弊害か
                              http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=546

 

戦前と戦後から、官僚化して来た公務員。それは、敗戦で東京大学を中心とした官僚が台頭して来たのでもある。そこには、マルクス主義の極左に代表される京都大学などもあるという。


国家予算の税金を使い、官僚主義へと走らせた思想の劣化でもある。お上主義がまかり通る日本で、予算を権力化し横暴を進めた官僚政治(堕落の貴族政治)なのである。


そこには、歴史の否定や戦前の繁栄を蔑み、
  ・歴史の権力者と富豪を蔑視
  ・共同体の核である地主を否定
  ・マルクス的共産主義に偏向

特に官僚は、貧乏出の家系を歴史や社会のせいにした。そこには、貧乏な東大・京大出身者が進めてきた事案が多いと言う。当然、そこには3流学会学者がのさばる傾向に進み、決断できない組織の政治に落ちぶれたらしい。


それは前川氏に代表される旧態文科省と官僚機構が、悪さする落ちぶれた三流行政として垣間見えるのである。そして、戦後の成果を自分たちの業績にしたがる風潮も出来上がった。そして、勲章制度も歪ませる程、三流官僚の推薦が最優先される国体に落ちぶれたのである。


そもそも、戦後は地主制度を廃止し裕福な農家に自立化されたのに、官僚は共済も無機能にさせ規制で補助金という飴玉をちらつかせる無能行政なのだ。それは、競争を抑え過ぎたため、地産地消や国際的成長に遅れた農政でもある。そこには、悪質な農産品を野放しにして、良質な農産品や農家の成長を遅らしたのである。


まあ、戦後に不味いお米を左翼官僚に食わされていたと言う事でもある。


  明治に開花した、米の品種発明−庄内を中心とした東日本編
    http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=272
    〜戦後から、米の品種発明を一時途絶えさせコシヒカリ一辺倒に・・

 

   <余談>

      小作人も恩恵。地主も社会と共に成長した豪商庄内本間家
        http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=263


それは、現在までにお米改良に停滞させた動きもあった。自由化後、地域のお米品種が大量に出てきて、美味しいごはんが進んだことでもわかるだろう。自立した農業や国際化も、官僚政治と政治の行動で出遅れたと言う事だろうか。

 

 


ところで、日本に眠るインド人独立派スバス・チャンドラ・ボースも参戦した旧日本軍のインパール作戦から、戦後に独立が進んだと言われるインド。そのインドで独立の父は、ガンジー氏とも言われるが、砂漠化を止めた「インドの緑の父」と言われるのが日本人の杉山龍丸公。


杉山龍丸公は、実家の資材を投げ売って砂漠化や荒廃したインドの土地を緑化した偉人でもある。戦後にネール首相の要請でインドの農業復興に取組み、のち財政難のインドを見放さず支援を継続しインドの緑化と農業を支えたのである。


  インドの砂漠を緑に変えた グリーンファーザー 杉山龍丸
    https://www.youtube.com/watch?v=IP5Tjt4hyd0
    2013/06/13 Youtube 「LOVE JAPAN」


その金額は相当なもので、勲章に匹敵するほどの偉業でもある。戦後には日本の政府や企業などからは理解や協力が得られなかったが、その故人の偉業は世界の注目を集めた。国連関係者からの環境会議出席の求めに応じ、日本では学者の資格も無い中、インド緑化の成果を発表し世界に名を知られるようになったのだ。


      何かというと、外来種で緑化や再生したかといわれるが、2400kmにも及ぶという
      シュワリク丘陵では、現地の住民生活を考えサダバルという植物とモリンガという
      木を用いている。サダバルは生命力が強く、自然に芽を出し繁殖し土砂崩れを止め
      た。また、モリンガは葉も実も食用になり、木部はパルプの材料にもなり、は
栄養
      分が豊富な「奇跡の木」
といわれ、アメリカでは人気サプリメントとなっている。

 

        インドを緑に変えた偉人─ Green Father 杉山龍丸伝 ─
          http://www.jiid.or.jp/ardec/ardec52/ard52_key_note7.html
          一般財団法人 日本水土総合研究所 -ARDEC52号

 

実際、杉山龍丸公が行ったインドでのユーカリ植樹の一例は、成果が顕著であり注目された事象である。その成果は、アフガニスタンのガンベリ砂漠緑化のペシャワール会PMS中村医師も応用した程だ。

 

 


でも、こんなに国際貢献も有りながら日本の旧態三流官僚による嫌がらせ政治で、 杉山龍丸公は不遇なのである。それは、
  ・日本の政治組織を通さなかったこと
  ・学会の資格も無いのに国際的な国連の環境会議に出席したことに官僚の不満

  ・左翼官僚に好かれない元地主で大富豪だった
  ・ベトナム戦争にも否定的な行動を取った

ことから、今でも杉山龍丸公は政府や官僚から差別や無視をされていることらしい。歪んだ官僚の行政や政治に、正統な日本の思考がなされてないのである。


Wiki「杉山龍丸」によると
「 終始、日本政府からの援助は無く、学界からは黙殺され、国際文化福祉協会の財団法人認可申請もいまだ認められていない 」
ということらしい。


そう、元文科省事務次官の前川氏に代表される日本の横暴な左翼官僚機構は、今でも続いているようだ。その東京大学法学部出身に代表される闇の行政と学会は、相当に根深いと言える。

( 多少の誤解も有ろうが、説明責任を果たしていない行政。以前の東日本大震災で明らかになった学者と官僚への不信、今回も獣医師問題で明らかになった怠慢な文部省行政、そして疑われる東京大法学部出身者派閥の官僚政治も、歪んだ行政の一貫とみている )

 

 


戦後で高度成長後の政治は、田中角栄氏が進めた日本列島改造論で頭角を現した前進的な閣僚と、旧態派及び緊縮派の閣僚との争いでもあった。まさに、前川氏側と言われた福田元首相は東京大法学部出身で、抵抗派の旧態官僚。政治には、今だ日本を貶めようとする官僚や東京大法学部出身の政治家が多いと言う事だ。


まあ現在、そこに日本を想い日本を正しい方向に導こうとする官僚も出て来たとも言う。また民間でも作家の百田尚樹氏が、歴史を見る目を鍛え、朝鮮併合の歴史を新たな視点で解説する本「今こそ、韓国に謝ろう」も出したりして、政府の敗戦観にも変化を及ぼして来たようだ。


今、日本は新たな未来に向け、過去を清算すべき時期に来ている。そこには、一過性でない富豪や企業家も望まれ、偉人を見直して世直しを進めるべきだろう。


三流な官僚やマルクスに染まる貧相な学者が貴族化する中、その工作された新聞・雑誌がフェイクニュースで世間から飽きられ倒産にまで至ろうとしている。時代が変わろうとするなか、日本は本質の歴史を見極め進化する時期に来たのであろうか。

 

 

 

実は杉山龍丸公の事業成果が見えて来た時、インドも財政難で待遇にも恵まれなかった。

まずは今、杉山龍丸公がインドで成し遂げた偉業を取り上げ再評価する時期かも・・

加計問題騒ぎや旧文部省の嫌がらせより、歴史に残る事業に勲章と財団も必要なのである。

 

難治熊本に残した加藤清正公の土木と治水遺産 −ネット詳細編−

  • 2016.10.25 Tuesday
  • 00:10

JUGEMテーマ:伝統文化

 

    難治熊本に残した加藤清正公の土木と治水遺産 −ネット詳細編−
      〜「大切なことは目に見えないんだよ」

 

                     海外で増加する港湾工事受注、日本の技術と人を活かす
                       http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=306
                     加藤清正公が活かした日本古来の土木技術と、河川技術の功績
                       http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=304

                     2016熊本地震で明らかになる、活かせない予測と取組
                       http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=293

 

 

いやはや、戦国時代までの熊本は、河川災害で悲惨な状況だったようだ。その昔、八代の川は、火山灰で相当な被害と災難もあったらしい。まあ、イエズス会の布教に信徒が増えた状況も察しられる。ただ、加藤清正公の治水・土木事業で八代平野も活況となる推移が伺えるようだ。


  熊本偉人伝 加藤清正 第1章
    http://www.tabimook.com/kuma/kato_kiyomasa/index2.html
  熊本偉人伝 加藤清正 第3章
    http://www.tabimook.com/kuma/kato_kiyomasa2/index.html
    http://tabimook.com/kuma/miyamoto_musashi/index.html 熊本偉人伝
    季刊 旅ムック.com熊本

 

    加藤清正の歴史 −加藤清正のあれこれ  (名言あり)
      http://www.kato-kiyomasa.com/history/kiyomasa.html
      加藤清正公生誕450年・没後400年記念事業公式ホームページ


どちらかと言うと、加藤清正公の治水・土木事業は、民間や現場の組織の方が有難さが示されている気もする。まさに、秀吉の大阪築城で石奉行だった清正公が、熊本地域を統治するにあたり、すべての技術や頭脳の限りを尽くしたか、伺い知れる。多少、重複するが各サイトを多めに掲載することした。


  加藤清正公の治水事業
   http://www.qsr.mlit.go.jp/tateno/shirakawa/kiyomasako.html
   国土交通省 九州地方整備局 立野ダム工事事務所


  No.068 「 加藤清正の創った歴史的遺構 鼻ぐりのヒミツ 」
    http://kumanago.jp/benri/terakoya/?mode=068&pre_page=4
    熊本県観光課


    熊本水物語の伝承  /土木の神様・清正公の偉業
     
http://www.kumamoto-waterlife.jp/imgkiji/pub/detail.asp?c_id=24&id=3&pg=1&mst=0&wd=
      くまもとウォーターライフ   熊本市水保全課


加藤清正公は、戦国時代を生き抜き肥後に進出。そして、域内統一の領主となり、持ち前の土木技術をもって熊本城下で活かした。そして、 加藤清正公は八代平野の農業でも土木と治水技術に情熱を注いだようだ。

 

今でも、それは語り草なのか。当時の足利時代は、裕福になりつつあった。しかし、外の勢力や京に依存する国主では、豊かな平野を活かすことが出来無かったのかもしれない。


そして、加藤清正公が行った土木と治水の活躍は世に知られるが、

土木業界でも、「大切なことは目に見えないんだよ」と・・


  土木歴史散歩
    第3回 加藤清正の二重石垣

    http://www.kentsu.co.jp/mlmg/378/news/000000000001.html
    建通新聞社
    〜「大切なことは目に見えないんだよ」


加藤清正公は、当時でいえば寿命で亡くなるのだが、今では早死にという状況だ。如何に、戦場で生き熊本の地で農地再生を願ったのだろうか。結果的に西日本のみならず、相当な穀倉地帯に進むきっかけを作ったのだろう。


  難治の国、八代平野を穀倉地帯に
    加藤清正 ―熊本県 国営八代平野農業水利事業

    http://suido-ishizue.jp/kokuei/kyushu/kumamoto/yatsushiro/0104.html
      http://suido-ishizue.jp/kokuei/kyushu/kumamoto/yatsushiro/0101.html

    (初ページ)
    水土の礎  〜【地域の礎】国営事業一覧


それは、現代の人にでも効果があったと認識させる状況だ。学術部門でも、その効果が示され公開されている。


  加藤清正の治水・利水工法に関する一考察
    http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00044/1998/18-0265.pdf
    土木学会 土木史研究


  加藤清正による流水制御法「白川の石塘」の機能評価
    http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/15109/2/Civil-16-2010-02r.pdf
    熊本大学


まあ、情報のネットも多いので割愛するが、400年以上前に信玄堤とともに、熊本の地で熱意をもって取り組んだ姿勢がうかがい知れるようだ。


 「土木技師加藤清正と産業遺産」による集客交流事業の創出

  (熊本県菊池郡菊陽町)
    http://kdskenkyu.saloon.jp/tm16kik.htm
    地域創生・ツーリズム研究所


今では、阿蘇山も噴火する状況。以前は、知事がホームページに「幸せを実感できるくまもと」「阿蘇さんは、今日も元気です」「農作業と比べ、(学問は)なんて楽なんだろう」と記載する配慮の無い状況だった。熊本県は、もうすこし地域のサイト情報を解り易く纏め、先人が工夫した有難味を感じ入るべきだろう。そして、新たな土の開発と共に、第一次産業等の振興と地域の発展を、積極的に考えるときかも。

 

  400年と9年前から愛してる   ―熊本城と加藤清正
    http://hon.bunshun.jp/articles/-/4842
    株式会社文藝春秋
    〜 細川氏は、パフォーマンスをしないと肥後の人に受け入れてもらえなかった

海外で増加する港湾工事受注、日本の技術と人を活かす

  • 2016.06.04 Saturday
  • 19:51
JUGEMテーマ:学問・学校

 

海外で増加する港湾工事受注、日本の技術と人を活かす

  〜アメリカ最初の橋梁書で、名をはせた「港湾工学の父」広井勇氏

 

 

                       土木・河川事業に、忘れられた日本古来の技術
                        http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=304


現代、貿易の要である港。東南アジアでは。港湾建設が進んでいる。日本企業も、その一環で、支えているのだろううか。日本は、いろいろな技術の蓄積があるのである。でも日本は、防波堤も自信過剰となり釜石港湾口防波堤ケーソンも遭えなく東日本大震災で、破壊された。しかし、日本の考案した半円形ケーソン防波堤のような、非常に高い安定性を示すものもあるという。こういった港湾建設は、世界にも貢献してるのであろう。

  バングラデシュが日本の港湾・発電所建設案を支持、中国に打撃も
    http://jp.reuters.com/article/bangladesh-japan-idJPKCN0RB08H20150911
    2015年 09月 11日 ロイター

  日・インドネシア首脳会談 新港整備に向けた協議で一致
    http://www.sankei.com/world/news/160527/wor1605270024-n1.html
    2016.5.27 産経新聞

実は、日本は明治期から数々の港湾工事で業績を残した。代表的な事例として、北の北海道で、先見的な取り組みも有った。

北大出身「港湾工学の父」広井勇氏、日本初のコンクリート防波堤で小樽港築港

当時は、北海道は、自然災害と火災で発展が遅れる札幌に対し、金融の町として小樽は発展、そこには幌内(三笠)から石炭を運ぶ鉄道と小樽港が、北海道経済を支えた。なんとそこの小樽港にある防波堤は、明治の最強の防波堤が、現在でも残るという。

その原点は、札幌農学校工学科の教授、そして北海道庁の技師として、高知土佐出身の広井勇ひろい いさみ
氏が、小樽港開港後の、第2期築港と日本初のコンクリート防波堤を完成させたことによる。。当時、各所の軍港の防波堤も作られるが、亀裂発生などもあった、工法も完成していなかった。広井勇氏は、強度を増したコンクリートを開発し、コンクリートブロックの設置工法を考案。そして、明治41年、1300mに及ぶ日本初のコンクリート製長大防波堤を完成させたという。

当時は、札幌よりは賑わいを見せ栄華を誇る小樽。今では過疎とも言われるが、港湾運河と共に有名な観光地で、寿司も有名。またヨットを趣味とした石原裕次郎の記念館も。スキー場も有り、坂道が多いが、趣のある町である。

  この広井勇氏、アメリカにわたり軍の技師や設計事務所の橋梁設計に従事。その時、橋梁建築について英文で著した技術書を作成。何と、アメリカで同書は、理論から実践的な標準設計までを貫く内容で、アメリカの大学で教科書として半世紀も使用されたらしい。

  実際日本でも、後に札幌の洪水被害で難産の豊平橋も指導し完成。他にも旭橋、旧幣舞橋、仙台の広瀬橋、関門橋の原型となった下関海峡横断橋の設計や指導等、多彩だ。ただ、貢献するも金銭の賞を受け取らず、謙虚。技術と現場に明け暮れる。

  帰国後、小樽港や東北以北の築港に係る。秋田港や小樽港の設計に感服した土木学会創設の泰斗古市公威。その
古市氏の推挙により、工学博士号を得て東京帝国大学教授に招聘された。そして数十年、相当の指導熱意の表れか橋梁や土木技師の錚々たる逸材を送り出す。なんと台湾で烏山頭ダムを建設した有名な八田與一も含まれる。関東大震災や日本国内のみならず活躍した技師が相当いるという。パナマ運河の工事まで関与している技師も。
  数々の港湾と橋梁
実績を残した上に、教育でも世界に偉大な成果を発揮したといえるのだ。


戦後、早々に取り組んだ世界初の内陸盛り込み港の苫小牧港

  第一部 原野に挑む―世界初の内陸盛り込み港  苫小牧民報(wikiー苫小牧港 参考資料)
    http://www.tomamin.co.jp/kikaku_/08/sakigakete/sakigakete1014.htm

通常港湾と言えば、囲まれた海岸線を利用したものである。平坦な海岸線での都市では、近代の工業化と共に、港湾が望まれた。苫小牧市周辺は平野で、工業寄りの地域である。元々王子製紙もあり、最近ではトヨタ自動車も進出している。

この苫小牧港、戦前から港を創ろうと苦労するが、太平洋の波と砂に脅かされ苦労する土地柄であった。その戦前に港湾事務所もまき込み立案し、陳情も行い具体化が進む。そして、戦後、高額との意見が有る中、世界初の内陸盛り込み港の工事が始まる。ただ、土木技術の進化と建設機械も高度化し、その工事も後順調に推移した。その後、苫小牧西港として完成し、国際拠点港湾として指定される。

現在、港湾取扱貨物量は全国4位(平成24年)、内航取扱貨物量は日本一の取扱量にまで、成長している。フェリーも、大洗や八戸、仙台(名古屋)にも運航される。

太平洋フェリーの仙台(名古屋)方面は、意外と好調のようだ、仙台に半日でいけるのでトラックも旅客も好調。意外と新しめの船で大きめ。なにせ以前の吉田拓郎の曲「落陽」にも出てくるぐらい有名。まあ、ときどきは、航路でイルカも見られるかもしらん。都市機能を集約させたフェリー、時々乗ることはお勧めと思う。



この堀込式港湾(内陸盛り込み港)、発着がしにくいが、高度成長と共に国内で増加した。鹿島港・苫小牧港・富山新港が代表的。他にも、新潟東港・仙台新港・福井港・田子の浦港等等。最近のフェリーでも、自動反転する船も出てきているようだが、コンテナ船などは、タグボートで反転させる。意外と、タグボートも技術が必要なのか、かっこよく見える。

日本は、今までいろいろと港が整備されてきた。高度成長の財産であろうか。それが、現在海外に活かされようとしている。ただ、上記のインドネシアの新港近隣では、以前反対騒ぎも有ったそうだ。それでなくても、海岸付近の火力発電所建設では、もっとひと騒動らしい。日本が携わった港湾設計のノウハウが活かされるわけだが、海外では、環境アセスと丹念な説明が求められる。

前前回に、掲載。
明治に土木学会を創立した古市公威公は、河川・港湾・運河工学を教え、
土木技術者は様々な専門技師を集め、それらの知識をも利用する指揮者とならなければらない。そのためには、広い視野に立ってものごと全体を見つめる土木以外の勉強も必要である」と説いた。そして、上記「広井勇公」を東京帝大に招くのだ。

その実践の「広井勇公」の弟子である八田與一技師や、特に同じ系列東京帝国大学農科大出の鳥居信平技師は、戦前首狩り族のいる台湾で、多くの人と会話し物事の調整をしたという。
首狩り族 (高砂族)も含め台湾南部では、農業の成長と教育、更に軍人の規律のカッコよさから日本の虜になったらしい。そのように社会では、技術のみならず逃げずに沢山の人と調整をとり、物事を進めていく経験も必要だ。そう、高学歴な人ほど、いろいろな社会経験とスポーツなどの交流もするべきであろう。ただ、左翼デモなどの参加は勧めないが・

  農業を産業化した二宮尊徳、と札幌、台湾の発展
    http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=92

昨年のノーベル生理学・医学賞での大村智氏、人との関係を生かし成長し徳を積む。埼玉の北里研究所メディカルセンター(KMC)病院建設でも、反対しそうな埼玉住民に、誠意をもって説明を行い同意取り付けを行っている。簡単に出来そうだが、難しいものであろう。徳を積んだからこその技でもある。

  最近禿学者が世間を賑わすなか、徳を積むノーベル受賞大村公
    http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=245


ただ、主権は形式上も国民にあり、一人一人が日本国の代表であり、一人ひとりが国家の責任を実行しないといけないのは確かである。日本を貶めるなんて、もってのほかであろう。最近は刑も甘いという状況で、引き締めと日本の徳を考える時期でもある。

 

加藤清正公が活かした日本古来の土木技術と、河川技術の功績

  • 2016.05.29 Sunday
  • 18:47
JUGEMテーマ:学問・学校


先ごろの熊本大地震で、加藤清正公が作った熊本城が注目を浴びた。それは、そそり立つ石垣に立つ天守閣。西南戦争の西郷隆盛公も陥落させれなかった城壁だった。そこには、確固たる、土木技術が有った。それは、地固めと版築のようである。古墳や法隆寺などでも、利用された工法でもあるそうだ。そう、飛鳥時代に五畿七道の七道を設定したように、建築技術を支えた土木技術が道路整備等で普及し、生かされた工法のようだ。

またこのような土木技術や河川技術が、再発展するのが加藤清正公に代表される豊臣秀吉公の時代になる。一夜城でも知られる豊臣秀吉公は、その技術集団の長でもあったと言われる。土木技術に長けていたのである。城攻めや平城築城に、これらの土木・河川技術に活かされることとなった。町づくりにも貢献し、経済の発展に寄与したことだろう。


実際、奈良平安時代から、急速な発展が秀吉公の時代に顕著になるのである。

  日本の河川技術の基礎をつくった人々・略史     −国土交通省
    http://www.mlit.go.jp/river/pamphlet_jirei/kasen/rekishibunka/kasengijutsu11.html


まあ、有史始まりの時代、先端学問と技術は仏教寺の学問所であった。

最古の大学であるガンダーラのタキシラから、5世紀にインド北部に設立された仏教のナーランダ大学は、総合学問所でもあった。西遊記の玄奘三蔵が目指したナーランダ大学でもある。玄奘三蔵は、仏教や天文学だけではなく、医学、薬学、工学など自然科学分野も学んだらしい。


  平和思考もいいが、ガンダーラ美術と浄土思想も崩壊した乱世
    http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=265
    〜為政者や宗教家に依存する平和も終わり。平和には武力も必要。
      動物の本性であるテリトリ争いは、人間社会でも不滅


上記の略史でも、行基や空海の名前が載っている。が、秀吉公の時代まで、特に、大きな技術の進展が無いということか。平安の末期で公家社会が、荘園や事業、そして地方統治で失敗し崩壊。近畿の寺社では、先端科学の酒造りが税を賑わせ、戦国時代になると、僧坊酒と金貸し等で、寺社が金満経営となり、組織防衛と防備に依存する。地方では、荘園で地主化する。この頃から、寺社は、先端学問所の機能が薄れていくようだ。まあ、今では学問所と言う影もない。


  酒は中世の経済を支えたが、歴史を翻弄させた日本酒づくり
    http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=270


安土桃山時代から、城下町も発達していく。水源の確保や平城築城・堀の整備、生活水の水路など整備されたのだろうと思う。大名の移封などで、更に土木・河川技術が全国に普及。まあ、都市計画ともいうべき、思考が進んだのであろうか。ただ、道路は戦を考慮して複雑。 そう、先進技術は仏教学問から、大名・武士に移行、そして、後に豪商へと引き継がれた。

当時、このような都市計画が江戸期の人口などでは、妥当だったのだろう。しかし、現在の人口集中では、高温化が激しい。緑が減った現在、河川以外は風の通り道もない。東京も2本程度は、風が南下する道路も欲しい状況だ。現代の都市計画は、どうなんだろうか。時折、地方の武家屋敷を見ると、屋敷脇の水路や農業の用水路が、確保されて、当時としては風流で、涼しさを感じるものが有る。

今後、観光地化が進む時代、水が流れる水路?など復活してほしい気もする。最近のコンクリート化する趣の無さは、人の心もすさむのでなかろうか。現代、都市には工夫が無さすぎる。

江戸時代から、進んだ城郭技術の他に物資輸送の水路、運河も近代経済に向け整備された。都市交通が進む時代に、忘れられた地域遺産である。でもこれが、まして経済に一層寄与するのである。北前船に見られる港の運河と河川を利用した海運は、明治の工業化と鉄道普及まで利用されたのである。


江戸初期の代表的な運河には、
  貞山運河ー北上川河口から松島湾等の運河、日本最長
  利根川・江戸川ー利根川東遷事業
  道頓堀−大阪府
  高瀬川−京都府
    堀川(北九州市)、堀川運河(宮崎県)−木材運搬 等の運河も有るようだ、


−安土桃山時代にかけて治水能力が向上し、江戸時代にかけて、地方政権(藩)が
  各地に出来て資本集中と城下町建設(都市化)が発生したため、各地で河川改修
  や運河開削が行われ、川船流通が発達した。(wiki)


−上記、国交省「 日本の河川技術の基礎をつくった人々 」から−
加藤清正は、豊臣秀吉の家臣で肥後(熊本県)の熊本城主となった武将。
清正は、肥後国内の白川、緑川、菊池川などの治水・利水事業に力を注いだ。
白川では、熊本城下の町づくりと合わせ、河川を付け替えるなどの大きな事業を展開した。
また、白川流域は阿蘇山の土砂が多く流れてくることから、かんがい用水路には水の勢いで土砂が自動的に浚渫される「鼻繰(はなぐり)」と呼ばれる仕組みを設けた。
緑川では、「乗越(のりこし)堤」と言われる越流堤や、河川合流部に設けた「轡塘(くつわとも)」などの治水工法を残した。
菊池川では、治水や利水だけでなく、河川舟運に関する施設を残した。

 

  清正公の治水のはなし
    http://www.qsr.mlit.go.jp/tateno/shirakawa/kiyomasako.html
    国土交通省 九州地方整備局 立野ダム工事事務所
    〜白川の堀替え・堰と井出・石刎
      渡鹿堰(とろくぜき)・鼻ぐり井手・瀬田堰(下井手堰)・石刎(いしばね)


当時河川では、山形の最上川も17世紀末には、なんと米沢まで開通した川船流通は、北前船と連携するかのように盛んになった。

  小作人も恩恵。地主も社会と共に成長した豪商庄内本間家
    http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=263
    〜安土桃山時代から、先進技術は仏教学問から、大名・武士と豪商へ


近代明治にも北海道で、小樽運河もある築港から鉄道に運ばれた石炭を全国へ、札幌では大友堀(創成川)・新川・茨戸川で、農業や流通を支え200万都市の基礎を確立した。最近は全国で、流通がトラックで都心に移り汚染化が進む運河のようだが、観光としても清い河としても、遺産として改善が望まれようだ。都市災害でも、役に立つことだろう。

現在まで、近代化の西洋技術依存政策やコンクリート依存から、忘れられた古来の土木河川技術であるが、ペシャワール会中村医師のアフガニスタン緑化・農業事業でも応用されたことで、注目されている。


                ノーベル平和賞より偉大、アフガン農民の砂漠緑化と農業事業
                  http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=246


これらの運河は、、その場の改良で一挙に進んだわけでない。過去からの経緯と願い、そして、十分な測量と現地調査と解決法の模索だったろう。その地を熟知したものでなければならず、すぐに出来るものでもない。世界には、悲惨な事例もある。戦後のソ連トルクメニスタンのカラクム砂漠を横断するカラクーム運河建設である。

ソ連は、この1375kmにも及ぶ運河によって棉花大農場の建設を推進し、「砂漠を緑豊かな農地に変えた『社会主義の勝利』である」として喧伝。しかし、運河は原始的な手掘りで、河床の防水対策がなされずに構築された。流れ込んだ水の半分が灌漑地に至る前に失われる構造となった。そして地下水位の上昇により、大規模な塩害を引き起こし、開発した農地も放棄された。今では、只の都市の給水源となるが、アラル海の縮小という地球規模の環境破壊とも言われる。あまい技師の判断と十分な調査と工法の考慮が無いと伺える。

そこから、見ると日本統治の台湾でのダム建設の例は、よく考慮されたものかもしれない。台湾で八田興一技師の指揮による建設された鳥山頭ダムである。統治当初から、台湾全体の土地や風土の調査を行なわれており、建設以前にも十分な調査が行われたようだ。今では、現地でも感謝される資産である。世界の土木界も注目し、論文発表したほどだ。

日本では昨年に、栃木の鬼怒川水系での洪水被害。西洋技術だけに被れることなく、日本古来の治水や新しい都市計画に再考が望まれる。それで、多少でも田園や水路を復活し都市温暖化が軽減され、活気ある都市計画に取り組むべきだろう。


明治になり、土木学会創立に寄与した姫路藩士の江戸屋敷出身の古市公威氏は、

工科大学の教授の時に河川・港湾・運河工学を教え、「土木技術者は様々な専門技師を集め、それらの知識をも利用する指揮者とならなければらない。そのためには、広い視野に立ってものごと全体を見つめる土木以外の勉強も必要である」と説いた。(上記、「 日本の河川技術の基礎をつくった人々 」から。)

 

    >>詳細編へ

         難治熊本に残した加藤清正公の土木と治水遺産 −ネット詳細編−
           http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=417

明治に開花した、米の品種発明−庄内を中心とした東日本編

  • 2016.02.23 Tuesday
  • 13:37

JUGEMテーマ:農業経済・農業政策

 

                          明治に開花した、米の品種改良−コシヒカリと西日本編
                           http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=271

                          小作人も恩恵。地主も社会と共に成長した豪商庄内本間家
                            http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=263

                          植物版ノアの箱舟開封も、紛争で止まない農業破壊
                            http://kitanosumibit.jugem.jp/?eid=248

現在でも、東日本でコメどころと言えば、庄内。明治期に農業の技術を余すところなく、吸収したと言える。もともと、先進的に乾田は宮城でも進んでおり、江戸時代末期には、庄内からも遊佐地区の高橋九左衛門氏が技術を学んで家の復興を遂げている。明治中ごろには、福島も勧業試験場も出来、先進的な地域だったようだ。ただ、ネットの情報では、感じ得ないところもある。昭和になるまで冷害も多々あり。苦労もしのばれる。

でも、東北農村は貧困で秋田の老農石川理紀之助翁が丹念に、農業指導を行う。
秋田の二宮尊徳翁と称せられ、【老農】、【農聖】、【聖農】と敬称される。

その中で、後に庄内の米品種改良や耕作手法等は、群を抜く状況である。また明治24年には、庄内の篤農家である佐藤清三郎氏らの活動により、福岡県人の伊佐治八郎氏や島野嘉作氏の農業技師を招へいし、庄内でも周辺の乾田馬耕の近代化がより進む。

(当時、馬耕競技会と言うのも有ったらしい・・・)

更に多収水稲へ品種改良も進んだことから、増収となった富裕郷士も増加したことだろう。冷害に強く多収品種で徐々に2次効果も出てくると言える。後に、耕地整理や土地改良なども一気に進んで行くのである。この庄内の冷害に強い品種は、全国的な近代化や後世の農業に計り知れない効果をもたらした。

 



冷害と言えば、青森や北海道である。青森でも、「善石早生」という庄内品種から、後に「藤坂5号」という品種も昭和に出てくる。画期的なのは、北海道でも地域に合う品種が出、昭和初期に米作が北上し現在のようになるのである。
冷害と言えばコシヒカリの系で、「亀ノ尾」派生で有名な「農林1号」も記す。


<北海道(会津)>  http://www.city.kitami.lg.jp/docs/2012082400027/  by北見市
・安孫子孝次氏  1882年〜1973年  北海道出身  農学者(父は、会津の武士)
   1924年「走坊主」、道農事試験場で「坊主」「魁」から交配。早生で多収良質の冷害に強い米。稲の北限が遠別、名寄、十勝、日高まで延びる快挙。愛知県出身山口謙三技手と、府県品種「中生愛国」と北海道の「坊主六号」の交配から中生の優良種「富国」完成にも係る。後に光周性理論から内地米「愛国」種と北の坊主種が交配され「富国」、更に「栄光」と育種された。

   https://www.jataff.jp/senjin4/10.html

 

( 赤毛米は寒さに強く、唯一北海道で育つイネだった。しかし、脱穀して米の毛を取らなければならず、精米の効率は著しく低かった。やがて毛のない坊主品種が登場した )


<新潟> 戦中・戦後の食糧生産に貢献した。多くの人を飢餓や栄養失調から救う
「農林1号」

   1931年、京都府出身並河成資氏・富山県出身鉢蝋清香氏により、新潟県農事試験場で育成。寒冷地用水稲で耐冷性を持つ、極早生種で食味もよく多収量品種 。

 



今回は、水稲の米作を取り入れているが、養蚕業も技術の発展が目覚ましい。更に、大正の時期には小麦の品種改良で成果もあった。それも、世界に注目された小麦農林10号も、東北の試験場から出ている。なんと、米の「陸羽132号」に係った人物が、小麦の「緑の革命」の起源であることは、驚きだ。

<岩手(富山)>
稲塚権次郎氏  1897年〜1988年 富山県出身の農学者

   1919年陸羽支場に赴任、後「陸羽132号」完成。1926年岩手県農事試験場で、1929年「小麦農林1号」完成。1935年には「小麦農林10号」を完成「小麦農林10号」は「ノーリン・テン」と呼ばれた。戦後メキシコの国際トウモロコシ・コムギ改良センターで半矮性品種として品種改良が行われ、緑の革命と言われる世界的な小麦増産に寄与する

 

明治の東北における米の品種改良で筆頭に挙げられるのは、「愛国」だろう
宮城「愛国」  

   丸森町蚕種家本多三学氏は、静岡高橋安兵衛氏が発見した品種「身上早生」を1889年取寄せ、窪田長八郎氏と周辺農家で誕生。多肥で収量を多く上げ、病害虫に強いが冷害に弱い欠点。
1882年、静岡の青市村の高橋安兵衛氏が水稲品種「身上早生」を、身上起から選出

これからも解るように、全国的な網と地域の連携が明治に入り確立するのである。。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
以下、東日本の代表格である山形庄内地方における品質改良の偉人などを記す
  意外と検索も疲れる。一応wiki以外の参考のネット
  http://www.shonai-nippo.co.jp/square/feature/exploit/  
荘内日報社
  http://www.navishonai.jp/history/kameji_3.html  庄内町  土屋仁助氏に誤記
  https://www.jataff.jp/senjin2/ 公益社団法人 農林水産・食品産業技術振興協会
 
●コシヒカリの原種発明にかかわる偉人

加藤 茂苞氏  1868年〜1949年 庄内鶴岡市出身、農学者。農学博士
    陸羽支場で、秋田出身仁部富之助技手の支援をし、1921年(大正10年)には、陸羽132号(冷害に強い「陸羽20号」と良食味の「亀ノ尾」から)完成
 〜1903年畿内支場で人工交配。庄内農民からの要請で、交配育種法を支援

阿部 亀治 1868年〜1928年 庄内町の篤農家、豪商本間家の小作も兼ねる

    篤農家・佐藤清三郎氏の馬耕講習会で学んだ。1884年から乾田馬耕を率先し成果。

1897年「亀ノ尾」を創選。冷風冷害にあいながら、稔ったいる稲穂を大発見し育成をおこなった。冷風に強く、多くの肥料を必要としない。国内にとどまらず、朝鮮、台湾などでも広く栽培された。


大正末期に、「亀ノ尾」「神力(兵庫)」「愛国(福島)」は米の三大品種。

水利建設、耕地整理等に係り信用組合も設立し運営に尽力した。


佐藤 順治氏  1875年〜1936年 三川町の篤農家
    育種の組織を作り、1921年には阿部勘次郎氏に配布された「大宝寺早生×中生愛国」の組み合わせから、「大国早生」が育成され、奥羽で大普及。

自らも「東郷二号」から1909年「東郷新二号」1914年「豊年」を創選。結果、「東郷新二号」「東郷二号」「山錦」「小柳」などを創選。
    
庄内の多くの農民育種家は、記録をほとんど残さなかった中で、几帳面に戦前の庄内平野における水稲の品種改良の全貌を記録保存し功績を残した


森屋 正助(多郎左エ門)氏 1892年〜1971年 庄内町の篤農家、民間育種家
    1913年に21歳で「森多早生」創選。短い稈・早生・耐肥性・多収・良質。1916年「萬石」の変種から「報徳」、1921年大正10年には森多早生の変種から「満月糯」を育成した。父・巳之吉は、当時の米調整機具「根本式籾摺臼」の開発をしていた


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
●庄内で功績の大きい、他の育種家の偉人

 

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